インポートフエアーとともに幕開けしたバブル景気!!!〔44〕
1986年はバブル景気が本格化する!!
前年中曽根首相の掛け声とともに始まつたインポートフエアーは、輸入品の低価格化を招き、国民の消費拡大に拍車を掛けました。
おおげさにいえば、戦後初の政府による外国製品を買えという、一大国民運動でした。政府肝入りのキャンペーンは日本各地の自治体も参加して、あちこちで輸入品フエアーが開催されたのです。
折から始まつたバブル景気もフエアーに弾みをつけ、輸入代理店・小売店は空前の好景気に沸くのです。
地方のインポートフエアーでは、特に福井県でのフエアーが印象に残っています。
福井県では初めての展示会でした。
会場は平屋の体育館みたいなところで、前日に商品を般入したときは、この様な会場で売れるのか、正直落胆したのを覚えています。
他の会場のフエアーを選ばなかつたのを後悔したくらいです。
この時は弟分の物販販売を連れてきて、2小間での販売です。
出展費用が安いのと、福岡県でのインポートフエアーが最終日に重複して、私は最終日をアルバイトに任せざるを得なかつたのでした。
その面倒を見てもらうためでした。
最高額を売り上げた!福井のインポートフエア!
さらに福井県にある鯖江市は、日本の一大眼鏡フレームの生産地なので、私の韓国製フレームがどのように評価されるのか、気になります。
売れない時の保険として、クリスチャンディオールのサングラスも、100本ほど用意してたくらいです。
勿論本物のクリスチャンディオールの高級サングラスです。
売値は最低でも2万円以上のものです。福井に行く前、浅草橋のCオプティカルへ仕入れに行くと、社長がある業者から型落ち(前年度モデル)が安くはいったのでと、提供してくれたものでした。
1本3000円くらいだつたと思います。ブランド品なので全品1万円均一で販売したのです。
地方のお客様では都会の消費者ほどには、型落ちモデルでも気にしません。
売れに売れました。慌ててCオプティカルに電話して。在庫の残り全て引き取りました。
次の福岡でも売れるのが予想されたので。
フエアーの開幕初日は般入日の危惧に反して、期待以上の売り上げでした。
日曜日は圧巻の50万超えを記録!!!
韓国製老眼鏡も危惧した評価ではなく、地元の眼鏡業者は韓国でもこれくらいの老眼ができるのだと、むしろ評価した方が多いのでした。
売り上げが期待された日曜日は、ものすごい入場者で、閉場が1時間延長される始末。
売り上げは1日では最高を記録する50万を超えていましたが、超えてた細かい数字は覚えてないです。
当日中に福岡に行かねばならないので、食事もしないまま小松空港か福井空港か忘れましたが、タクシーに乗り名残惜しい福井を後にしたのです。
福岡には別便で商品を小間までおくつてあり、友人の商品も合わせて、翌朝早くから設営です。
福岡県でも絶好調!!連続好売り上げ!!!
会場は大相撲九州場所が行われる福岡体育館で、前に1~2度きたことがあります。
小間は2階席にあたる良くない場所でしたが、やはり売れました。
2日後には友人も福井インポートフエアーを終え合流したのですが。
友人曰く、私の小間のアルバイトが頑張れば、最終日には食事でも誘えばよいとの私の言質を良いことに4万円(3名分)を超える領収書を渡されました。
女子大生2名に囲まれ、大判振る舞いしたのですね。
それでも5日間で160万を超える売り上げだつたのには、文句のつけようがないのです。
粗利益を計算すると160万*0.7=112万。経費小間代8万+アルバイト5万+交通費・輸送費5万+ホテル代・雑費8万で112万―26万=86万円の純利益が5日間ではじき出されたのでした。
この時の福井と福岡での売り上げは300万近くあつたのではないでしょうか。昔のことで覚えていませんが、純利益は10日間で150万くらいはいつたとおもいます。
高額品を販売する業者は、私などより5倍~10倍以上の売り上げはあるはずです。
現金でパンパンになつた財布をポケットにいれての帰京は、現金販売業者の堪えられない快感というか満足感でした。
あなたもこの快感を味わつては如何ですか?
サラリーマンでは一生体験できないでしょう。
1982年にゲリラマーケティングを始めてから、4年目の1986年には年収1000万を軽く達成出来ました。
原価率の低い商品開発と大量販売の場所を確保できたのが大きな要因です。
物販小売り業が商売初心者に適した仕事と私が力説するのが、お分かりいただけたでしょうか。ブログを読んでもらえれば、難しく思う苦労はないと思うのです。
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