資金繰り危機一発を有馬記念で乗り切った1987年〔56〕
何故か運転資金がショートした1987年12月!
1985年から始まつたインポートフエアーで商売は順調だつたが、1987年後半は何故か一時的に売り上げが悪く、資金繰りに苦しみました。
その頃は2年間のインポートフエアーもほぼ全国一巡で、目新しくなくなり売り上げが低迷してきたのが原因だつたのかな、と思われます。
月末には韓国・朴社長へのフレーム支払い予定が約80万円ほどあり、まだ50万円たりないのです。東急ストアーからの支払いを計算しても、他への支払いもありますので、胃が痛い毎日でした。
売り上げが期待できる見本市もなく、最後の望みを託して横浜市産貿ホールの、年末恒例市に出店したのですが、目標には程遠い売り上げです。
このセールには何度か出店したことがあり、良い売り上げを記録したのはないので、ある意味期待通りの結果でした。
有馬記念に賭けた大勝負!!万馬券的中で支払う!!!
年末で銀行からの借金など金策の当てもなく、ここは競馬で資金調達しかないと、腹を決めました。
恒例セール最終日が、日曜の有馬記念競走です。
前日の専門家予想で、今は亡くなりましたが大橋巨泉が話す、「今年の4歳馬は強い」との一言が気にかかっていましたので、好きな馬・メジロデュレンから人気薄の4歳馬への4点勝負に賭けました。
ダイナアクトレス・ダイナガリバー・レジェンドテイオー・メリーナイス・サクラスターオーなど、いまでいうG1重賞馬ばかりの中で、人気薄の4歳馬ユーワジェイムス・ハシケンエルドへの勝負。
当時は高配当が望める3連単どころか、馬連馬券も発売されていないので必然、枠連勝負しかできませんでした。
人気馬枠では目標金額50万に及ばないので、人気薄の馬を選ぶしか選択の余地はないのです。
ましてその日朝から買った馬券勝負は、午前中からすべて外れてばかりで、最後の頼みが有馬記念になったのです。それこそ天にも祈る気持ちで、商売どころではありません。
レースはまずメリーナイスが落馬で始まり、直線でサクラスターオーが競争中止。人気馬総崩れの展開になり、結果1着メジロデュレン・2着ユーワジェイムス・3着ハシケンエルド。単2410・複800・枠連16300(当時は馬連ナシ)。
商売途中なのでラジオの実況放送を、イアホンで聞いていましたが、最後の直線でメジロデュレンが先頭に躍り出てきた時は、それこそ思わず「行け!行け!そのまま!!」と叫んだくらい大興奮です。
単・複に各3000円・枠連に4000円を賭けていましたので,総取りという最高の結果になり、約75万円の払い戻しです。
ハナ差3着のハシケンエルドが残っていれば、さらに人気薄なので枠連は3万円近い配当で、総配当は倍の150万になったはず。
少し悔しかったですが、その時は朴社長との支払い約束が守れた、という安どの気持ちで一杯でした。
それでも奇跡に近い的中で、店の販売を友人に頼み、伊勢崎町の場外馬券発売所へタクシーで即直行でした。
歓喜の私!
翌月曜日は朴社長と彼女へ送金!!
京都先斗町で豪遊した友人!!
私が競馬に手を染めたのは、大学生になつて間もないころです。近所に独り住まいしている、岡山県出身の青年の影響でした。
彼は大工で稼いでいたので、暇な私はよく彼の家に行き、かつてに彼のステレオで音楽を聴いたりしていたのですが、ある時彼が自慢げに話すのです。
昨日大工の先輩と京都競馬場にいき、彼が万馬券を的中させ、28万ほどの大金を儲けたというのです。1967年か8年の頃です。
池田勇人首相の所得倍増経済路線が始まる前です。
大学初任給が4~5万円の時代なので、彼が手にした金額を現在の価値に直すと、約100万円くらいの金額になるでしょうか。
20歳の若者には手に取ったこともない大金です
競馬場からの帰り道、いつしょに行った先輩が、勝ったお金で先斗町へ芸者遊びに行こうと誘うのでした。
私より1歳年上の友人は、芸者遊びはもちろん女遊びも知らないので、嬉々として先輩の誘いに乗つたと言います。
大工の先輩は芸者遊びに詳しくて、まず京都の料亭は一現さん(初めて来店するお客)を取るところとそうでないところがある。
格式のある店はまずその様なお客さんを取らない。
歓迎する店でも,より歓待されるには、まず店に入るときに現金の入つた財布を女将さんに預け、このお金で遊ばさせてくれというのが、慣れた遊び人のやり方だという。
友人は先輩のいうとおりに大金の入った財布を預けると、芸者が4~5人呼ばれ太鼓持ちやで賑やかな宴会が始まつたそうです。
財布には当時の価値で100万円ほど入つているわけですから、置屋の女将にはこの上ない上客だつた、に違いありません。
田舎から出てきたばかりの大工見習の若者には、京都先斗町の芸者遊びは、それこそ浦島太郎の竜宮城の歓待にも勝るもので、夢心地の想いだつたでしょう。
まさに金銀サンゴの舞い踊りです。
残念ながら私は芸者遊びをしたことがないので、つまびらかに説明できないのが悔しいですね。
その後も友人からは、芸者遊びを聞かされるばかりでしたから。
男の遊びは、飲む・打つ・買うが王道だ!!!
宴会も終わりの段になると、女将さんがきて「どの芸者がお気に入りどすか?」と聞かれた。
気にいつた芸者を指すと、その娘が一晩中夜伽してくれたのだとか。
その夜は彼によると、まさに「夢のような夜、忘れられない一夜」と、浦島太郎になりましたとさ。
翌日店を出るとき財布を女将が返してくれたのだが、まだ10万円ちかく残つていたという。
2人で20万近い散財でしたが、彼のこの競馬豪遊伝は、その後の私の競馬への夢に大きな影響を与えてくれたのです。
その後はあなたが想像する通り、ビギナーズラックで余りにもよい思いをした彼は、競馬にハマり人生も狂い始めたのです。
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