商売もやっと軌道にのり、韓国人彼女と親密交際!!〔64〕
(仏国寺近くの旅館で)
ひとめ惚れの彼女と親密に交際発展!
1986年初夏・初めての韓国訪問で、知りあつた彼女に惚れ込んだ私はその後、2ケ月に1回くらいのペースで渡韓しデートを繰り返したものです。
2回目か3回目までは、初めての韓国を誘ってくれた毛皮販売のT氏と同行しました。
それ以降は単独で、彼女の実家がある清洲市へ行き、時間があれば慶州市の仏国寺など観光し、彼女との逢瀬を楽しみました。
今から思えばこの頃が、私の人生で一番輝いていた気がします。
5年前に始めた商売も軌道に乗り、彼女との結婚を夢見るようになつていたのです。
彼女は5人兄弟の2女で姉・弟・妹2人それに公務員の父親がいました。
実家には父親の奥さんもいましたが、彼女の本当の母親は4~5年前に病死していたので、父親の再婚した女性でした。
長姉は結婚して、市内の小高い丘の家で仏教の祈祷家をやつていました。
7~8歳上の姉とは仲が良く、悩み事には必ず姉に相談・頼りにしていたようです。
当時,下の弟はソウルで大学生・妹の1人も地元清洲市で州立大学に通っていました。
1番下の妹は高校生でしたが、大学には行かずに保育士を目指していたのを覚えています。
父の再婚相手と姉弟たちとの遺産をめぐる確執!!
彼女のすぐ下の妹が言うには、姉は日本でいえば司法試験を目指したくらい優秀なんだけど、母親が亡くなつて生き方が変わった、と。
母親は容姿・性格が姉とよく似ていたそうだ。とにかく気が強かったのも。
姉・弟・妹たちは仲は良かったが、彼らと父の再婚相手・母親とはかなりの確執がありました。
実家の相続問題で再婚の母が、財産の全て(家と土地)は私がもらうといってはばからないというのです。
その問題は6~7年後に父親が亡くなつた後に、表面化して裁判になり、再婚相手が財産のほとんどを持つていつたと、妹から聞いたのでした。
私も幾度か彼女の実家に泊まりましたが、父親の再婚相手との挨拶もよそよそしく、私たちの会話に入ることもなかったのです。
スタイルもファツションセンスもあか抜けた彼女!!
とっくの昔に離婚した妻をのろけるのは、とてつもなくというか、臆面もなく恥ずかしい。人前ならば絶対にしゃべらないだろう。
パソコン画面だから他人事みたいに、ブログできるのです。
こんなブログを見られると、私の妹たちに「兄貴はまだ彼女に未練があるの?」と突っ込まれそうで、はなはだ締まらない。
なにせ30年近くも前のことだ。法的に離婚したのは10年前ですが。
当時の韓国人女性のファツションは、日本人と比べると垢抜けしていなく、ソウルの女性も田舎臭い、バラバラのカラーの組み合わせのセンスでした。
ソウル市内では行商のおばさんが、ルイビトンのフェイク柄のパンツ姿をよく見かけたくらいです。
南大門市場は衣料品の卸業と小売業を兼ねた市場ですが、本場パリでも売られていないルイビトンのパンツが堂々と売られていました。
衣料品やアクセサリーが安い南大門市場は日本人観光客にも人気ですが、この市場は時間帯によつて、業者相手の卸売りと一般客相手の小売りと分かれているのにご存じですか。
つまり朝早くの時間帯(5~9時)は卸売り専門で、それ以降は一般客や観光客相手の小売りに代わるのです。日本にはない販売形態ですね。
勿論,卸売の時間帯に出かけた方が、安く買えます。
話がそれましたが、彼女は日本人に混ざつても、そん色のないトータルファツションで日本で友人たちに紹介しても胸を張つて自慢できたくらいセンスは抜群でした。
チェジュ島への新婚旅行でのチョゴリ姿にはそのセンスがよくいかされていたと思っています。
ただ韓国人が今みたいに、自由に海外に出かけられるようになったのは、3~4年後でしたので、残念ながら結婚前に、日本に連れてくることは出来ませんでしたが。
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