神風インポートフエアーで商売は急上昇〔39〕
全国の催事小売業者が勢いずく
池袋サンシャインビルでのインポートフエアーの大成功は、その後の日本全国での開催に弾みをつけました。
その後の大阪・小倉でのフエアーのおいて、私は10日間ほどで展示台1台のみの販売で、約300万円の売り上げを記録したのを覚えています。
商品の利益率は60%はありましたので、経費を差し引き、およそ(300*0.6-経費(35万))=145万ほどの儲けを出したのです。
2ケ所とも展示台は2台出せたのですが、友人の財布販売のSG氏が自身の小間を取れなかつたので、借金返済もかねて貸してあげたのです。
借金50万の返済も合わせると195万の純利益があつたことになります。
友人も私同様の売り上げがあり大喜び。
私以上に売り上げがあつたのは、革ジャンパー・毛皮コート販売や、大型置き時計・アクセサリー販売などの高額品を扱う業者たちでした。
知人の毛皮コートの業者は、直後には2トントラツク(荷台が上げ・降ろしできるタイプ)を購入し、今までのハイエースに代わり、新車の2トントラツクで日本各地のインポートフエアーを回つていたくらいでした。
初の韓国行きを誘ってくれたT氏!
初めて韓国訪問したのが1986年の初夏の頃。
老眼鏡の輸入トラブルで、韓国行きを決めたのは3月か4月頃ではないだろうか。
池袋のインポートフエアーで親しくなつたT氏から、韓国へ行くのならいつしょに行かないか?と声がかかりました。
彼は韓国から毛皮コートや革ジャンパーなどを輸入し、インポートでも私とは比べられない売り上げに潤つてた業者です。
先の業者とは別人です。
10歳ほど年上で、彼はインポートフエアーまでは、紳士服販売の友人と赤坂で店舗を借り、販売しており、店に1~2度いつたきりなので知り合い程度の仲でしたが。
私が初めての韓国行きなので、訪問経験豊富なT氏が案内役をかつてくれたのです。
もつとも彼にもせこい打算があつたのですが。
彼も輸入初めはトラブル続きだつた!!!
当時彼は革ジャンパーを、韓国の業者に製造を依頼していました。
詳しくは分かりませんが、見積契約するときには、革1枚でジャンパー何枚できるかで契約していたらしいのです。
縫製が終わり輸入されてきたジャンパーの数は揃つているのですが、身幅が注文したサイズに比べて小さい(細い)のです。
つまり縫製業者がサイズを詰めて製作し、余った革でもう1着を業者の利得にしているのです。
韓国の縫製業者が良くやる手口だそうです。
痛い目にあつている彼は、直接業者に会い、そうした点を念をいれて注文するのです。
それは婦人用毛皮コートでも同様です。
アメリカ人観光客の多い梨泰院(イーテウォン)に,毛皮店が集中してましたので、数軒見て回り、何故か注文以外に4点ほど手荷物で持ち帰るのです。
当時はまだぜいたく税があり、宝石や毛皮の売買には販売価格の20%が課税されていました。
輸入品も同じですが、国外観光での土産品については、ひとり2点まで非課税だつたのですね。
韓国案内する代わりに、帰国時に2点の毛皮コートを持たされました。
初の韓国訪問で手に入れたもの2つとは?
初の渡韓は3泊4日の短い滞在でしたが、大きな収穫がありました。
仕事では第一物産の朴社長とあい、懸案のレンズを受け取り、新たなフレームの注文と彼の工場を見学です。
さらに小売り眼鏡店も回つたのですが、当時から韓国では、個人の眼鏡つくりは当日仕上げの引き渡しが普通と聞いたので驚きました。
日本の眼鏡店ではほとんどが数日後か、1週間待たねば受け取れない眼鏡つくりでしたので、このシステムは後に小売店舗をオープンした時、30分仕上げを店の看板にしました。
韓国に出来てなぜ日本で出来ない?
やる気ならば簡単にできるのでした。
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