地獄から天国へ!!物販小売りの面白さ!!〔45〕
大赤字の鳴門ピアから1年で年収1000万超え!!!
丁度1年前のこの時期、当て外れに終わつた鳴門ピア博覧会では、売り上げのあまりの想定外に、友人に借金までする羽目に陥りました。
最後の宴会ではチャイナドレスで「上海の夜」を踊るほど、ヤケになつていたのは前のブログにある通りです。
その後にインポートフエアーの輸入品拡大の波に乗り、韓国での独自商品を開発、あっという間に商売は軌道に乗ったのですが。
この年から店を持つまでの3年間は年商4000万を超え、年収も1000万越を続けています。
自分自身も商売の面白さ、ダイナミツクな展開に楽しんでいました。
地方の展示会の楽しみはグルメ!名店を食べ歩き!!
日本の都道府県で訪れなかつたのは、2~3県だけで、ほとんどどの県でも見本市やインポートフエアーに出店しています。
中でもとりわけ多いのが名古屋・福岡・富山・大阪などですね。
福岡県でも特に小倉にはよく行きました。
小倉には小倉駅のすぐ近くに、西日本国際展示場という立派な見本市会場があり、出展の機会に恵まれたのが理由です。
売り上げの良い時には業者仲間と、地元のうまい店に連れ立つのが常で、見本市で地元の業者にうまい店を聞いておくのです。
小倉なら「稚加栄」がNo.1と聞きました。魚介・海鮮・懐石料理の店だそうです。
にぎやかな門構えの店で、お客様でごった返す賑わいでした。
店に入つた正面には東京では見たこともない大きないけす、というよりプールには伊勢エビ・カレイ・ハマチ・鯛・サザエなど魚介がたくさん生きたまま飼われていました。
お客様の注文で目の前で魚をすくい上げ、調理して運ぶのです。
東京では見たこともないお店のつくりに、初めての私は驚かされ圧倒されました。
料理の器も漆器で、おおきく華やかで大名の殿様気分になれるような豪華なもので、私たちを楽しませてくれます。
私は1匹の鯛を注文し、2階の座敷席でいただく鯛の刺身やカブト煮は絶品でしたね。
東京では味わえない新鮮な魚介料理の「稚加栄」!!!
当時本店は黒崎にあり、博多にも支店がありました。
本店には行く機会はなかつたのですが、博多の店には後に行きました。
小倉の店よりも大きく、静かで高級な感じの作りで、小倉の店とは大分趣が違っていました。
店に入ると、小倉の店よりもさらに大きなプールのいけすがあり、それを取り囲むようにカウンター席があります。
カウンターの後ろには個室タイプのお座敷があつたのですが、35~6年前の記憶なので、正しいかどうか自信はありません。
新鮮な魚介料理のうまさは小倉店と同じく、東京ではまず味わえないものでした。
その5~6年後に、東京でもプール型いけすのお店が登場するのですが、その発祥は福岡の「稚加栄」がモデルとTVのニュースで報じていたのです。
後で述べるパチスロもそうですが、九州の福岡は東京よりも、娯楽のトレンドは早い気がしますね。
パチスロも沖縄・小倉から流行が始まる!
小倉でパチンコをするのに入店すると、それまで東京では見たこともない器械で遊ぶお客様を発見しました。
それがパチスロだつたのです。
正確には今でいう沖スロでしたが、パチンコには興味がない私はその面白さにハマりました。
帰京して都内でパチンコ屋に入つてもどこにもスロットは設置されてないのです。
ようやく東京にスロットが登場したのは、私が小倉で初めてみた時から半年後だつたのを、よく覚えています。
豚骨ラーメンを初めて味わう中洲の屋台!!!
中洲にある屋台店が、博多にあるのか小倉にあるのか、記憶が惚けていますが、その中州の屋台で食べた豚骨ラーメンの美味しいのには、正直ひっクリ返りました。
学生時代に神戸三宮に初出店の、北海道の熊五郎味噌ラーメンを食べた時以来の衝撃です。
インバウンド外国人が初めて食べる、日本のラーメンに衝撃を覚えるのと同じですね。
屋台のご主人から、屋台出店が厳しくなり、先行きの不安などの愚痴を聞きつつ、食べるラーメンや餃子の味は格別。
私も同じような寅さん稼業なので、身につまされます。
屋台の出店も毎日定時に、業者に依頼して同じ場所に移動して出してもらうのに、1日2000円かかるのだとか。
営業終了後には、店回りはきれいに清掃して引き上げるのだとか、店主の悩みは尽きません。
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