思い出したくない新婚生活!!30年たつてもストレスは残る??〔71〕
母親の病死と言葉の壁か?
1988年のソウルオリンピック開幕直前に、彼女を日本に連れて来ました。
3軒茶屋の新築マンションで新婚生活を始めましたが、その生活は私が想像していたものとは違ったものでした。
彼女にしても初の海外体験で、言葉も分からない異国ですから、戸惑うことばかりだつたと思います。
新婚生活を夢見るのと現実の生活は全然違います。
この1週間ブログを更新できなかつた原因は、結婚生活に楽しい思い出が少ないので、そのことがブレーキになつていました。
思い出に残ることや楽しかつたことは、忘れていたことでも、次々に甦つてきてブログもどんどん進むのですが、前のブログ以後は少しも書き込みたいとは思わないのでした。
これまでのブログでは触れていませんが、実は彼女との結婚式の半年前に、私の母が肺がんで亡くなつていたのです。半年近くの闘病生活でした。
西宮の大学病院に入院していた母には、亡くなる前に韓国人女性と結婚するかもしれないと報告だけはしていたのですが。
入院見舞いの数日後に亡くなつたのですが、いまだに母に伝えたのが正しかつたのか、それと母が亡くなつてから、喪が明けないうちに結婚したのは決して良くなかつた、と今更ながら後悔しています。
先のブログでタイトルに「親不孝な結婚」と記していたのは、そのような理由からです。
母親の病死後4ケ月でプロポーズ、 8ケ月後に挙式・結婚!!
ほんとうに私はバカ息子でした。慙愧の念に堪えません。
天国の母はバカ息子をどのように思っていたのでしょうか。きっと呆れていたのではないかと。
プロポーズは結婚式の4ケ月前の訪韓でしました。
言葉に誤りがあるといけないので、取引先の朴社長に立ち会い‣兼通訳をお願いしました。
それまでの2人の付き合いから、これで結婚は出来るとは思っていましたが、改めて彼女から正式に返事をもらうと、心から安堵と嬉しさが込み上げてきたものでした。
母という一番大事な家族を亡くして、私も早く家族を持ちたい気持ちがあり、焦りもあつたかもしれません。
朴社長は父親が韓国人で、母親が日本人ですが、夫婦は離婚して母親は奈良県に住んでいます。
私が韓国人の彼女と結婚を考えていると話すと、ハーフの朴社長は日本人の男と韓国人の女は相性が悪いから、とあまり乗り気ではなかつたのを覚えています。
「じゃあ、パク社長の両親はどうなんだ」と切り返すと苦笑いしてましたが、その後、私も離婚しましたので、今の国家関係同様、両民族は相性が悪いのでしょう。
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